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非戦を選ぶ演劇人の会



あきらめない、夏 2003(H.P公開台本)

台本 斉藤憐・永井愛・丸尾聡・篠原久美子・野中友博


 
             註:決定稿の段階で、カットされた部分のナンバーが、
               そのまま残っていますが、ご了承下さい。
               また、聞き書きを元にした引用の文責は、「非戦を
               選ぶ演劇人の会」にありますのでご了承下さい。




第一部 プロローグ 平田伊都子のイラク日記


【NO.1】
六人の俳優たちが舞台に登場。

【NO.2】
ジャーナリストの平田伊都子さんは二〇〇三年四月、まだ混乱の続くイラクを訪れま
した。

【NO.3】
四月十九日
夕日に追い立てられて、バグダッドに入城。
硝煙の匂い、焼け跡の臭い、死体の臭いが鼻をつく。崩れ落ちたバース党の建物、黒こ
げになった外務省、開いた穴からチグリス川がのぞく計画省、焼け焦げた車が転がる。
......見なれたバグダッドの街は廃墟と化し、おびただしい数の米軍タンクが爆走してい
く...。
これが米軍占領なのだ!
私には、まさに「衝撃と畏怖」の光景だった。

【NO.4】
四月二十日
フセイン一家が最後の晩餐をとっているという情報で空爆されたサーア・レストラン
に行ってみる。しかし、劣化ウラン使用のバンカー・バスターをぶち込まれたのは、
レストランの裏にある三軒の民家だった。
住人十四人が爆死、六十人近くの民間人が負傷した。
巻き添えを食った店主が怒る。
「フセイン一家がうちのレストランで食事? そんなの大嘘だよ。ここはハンバーガ
ーやピザを売るファースト・フード・レストラン。息子のウダイが所有者? この俺
だよ、オーナーは」

【NO.5】
四月二十一日
この日もサーア・レストランのあるマンスール地区に行く。
屋根が辛うじて残っている駐車場には、家を壊された家族が住み着いていた。不法侵
入だと、この人たちを追い出せるだろうか?
「俺は、家も娘も職も、アメリカの爆撃で失った。これがアメリカの解放なのか? 娘
の命は誰が償ってくれるんだ!」
住人の一人マフムードさんが声を荒げると、みんなが寄ってきて険悪な雰囲気になっ
てきた。外国人を襲う気持ちがよく分かる。襲われても仕方ない。

【NO.6】
四月二十二日
朝六時、イスラム教シーア派の聖地、カルバラに向けて出発する。
カルバラ・モスクの中は、さながら元旦の明治神宮。感極まった人々は「フセイン・
ダウン! ブッシュ・ダウン! シーア・オンリー!」と叫び始めた。モスクの中で
シュプレヒ・コールが上がるのは異例のことだ。
巡礼の帰路、バビロン遺跡にあるサダム・フセインの旧宮殿に、米軍タンクの一群が
吸い込まれていくのを目撃。この遺跡も米軍基地として接収されてしまったようだ。

【NO.7】
四月二十四日
この日は病院巡りをする。バグダッド小児中央病院のモハンマド・アリ医師は充血し
た目に怒りの涙を滲ませながら訴えた。

【NO.8】
「バグダッド市内は停電。病院の粗末なゼネレーターではエレベーターも作動しない。
治安が悪いため、医者も看護婦も通勤できず、通常の五分の一しか出てきていない。
保険省も医務局もなくなって、我々は無給で殺到する患者に対応している。大部分の
医薬品は盗まれてしまうし、あと三週間もしたら倉庫は空っぽだ。破壊した米軍に責
任をとって貰えって...? 奴等に何度緊急援助と常駐の警備を依頼したことか! 返
事はいつも近々にという言葉だけ。国際団体も口約束ばかり。実質的な援助は未だに
届いていない」

【NO.9】
放射性疾患特別室では、劣化ウランや放射性物質が原因と見なされる白血病、血友病、
小児がんの子供達が力無く横たわっていた。

【NO.10】
「抗がん剤は国連経済制裁にひっかかって入手できない。闇で入っていたのも、戦争
になるとさっぱり届かない。この子たちは、あと一、二週間したら死ぬだけだ」

【NO.11】
付き添いの母親が叫んだ。

【NO.12】
「私は、アメリカが空爆していたとき、五回もきのこ雲が上がるのを見たんだよ!」

【NO.13】
突然何の予告もなく、米軍のタンクと軍用車が五台病院に突入してきた。

【NO.14】
「アメリカ軍はサダムを追放してイラクを解放し終えたのだから、いい加減出て行く
べきだ。いつまでも居坐って、勝手気ままにタンクや軍用車で走りまわる。がれきの
下には、まだまだたくさんの人が埋まったままになっているというのに...」

【NO.15】
「アメリカ帰れ!」のシュプレヒコールは、パレスチナ・ホテル前で連日繰り広げら
れている。

【NO.16】
四月二十五日 金曜日
金曜日はイスラム教団礼拝の日、休日でもある。
 この日、高名なムハンマド・アル・ヤーコーブ師は「シーア派とスンニ派は同じイ
スラム教、争ってはいけない。米軍のイラク占領に反対し、イスラエル軍のパレスチ
ナ占領に反対しよう。」そして「盗むな!」と強く諭した。
 「盗むな?」いくら高名な指導者のお言葉でも、職もなく家も持たない人はどうや
ってパンを買うお金を作ればいいのだ?
 世界一、二を争う産油国だというのに、ガソリン・スタンドにはわずかなオイルし
か配給されない。しかも、米軍侵略前の十倍に値が跳ね上がっている。
 そして米軍専用道路を満タンのガソリンを積んだタンク・ローリーが隊列を作って
移動して行く。 
 まさに、米軍は大泥棒だ。イラクの石油を泥棒し、イラクの国を泥棒し、中東全部
を強奪しようとしている。
 それに比べれば、不発の劣化ウランやクラスター子爆弾の散乱する中、パンのため
に鉄くず漁りをすることなど、罪に値しない。

【NO.17】
 四月二十八日
 「今日は蜂起する。危険だから外出するな! フェダイン・サダム軍」
 早朝、こんなビラがバグダッドのあちこちにばらまかれた。フェダイン・サダムと
は、サダム・フセインの長男ウダイが率いる義勇軍だ。
 フェダイン・サダムの警告を無視して、小学校に行く。
 バグダッド南部のドーラ地区にあるアル・クドス小学校は、めちゃめちゃに荒らさ
れていて、開校などとてもおぼつかない。
 泥棒が荒らしたのではない。
 犯人は米軍だ。米軍が最初にドーラ地区に侵攻したとき、この小学校を占拠して六
日間も寝泊まりをしたからだ。
 窓ガラスは銃床で粉々に砕かれ、扉は軍靴で蹴破られ、教科書は燃やされていた。
生徒達の椅子や机は無惨な姿となって校庭に積み上げられ、教室のあちこちに食料品
袋が散らばり、焼けこげが残っている。
 米軍にとって、イラクの子供もイラクの人も、人間には見えない。虫ケラのような
存在なのだろうか?

【NO.18】
 イラクの悲惨な現状や、全く見えてこない未来を書くことはできない。
 しかし、イラク庶民の言葉を記録することはできるし、記録しておかねばならない
と思う。
 北の村の羊飼い達は米軍の占領をどう思っているのか?
 南のバスラで出会った白血病のナジュラちゃんは、まだ病気と闘っているのだろう
か?...
 金の続くかぎり、イラクの北へ、南へ、旅を続けていくつもりだ。
 二〇〇三年四月末、ソドムの町バグダッドで。


第一部 戦争はまだ終わらない

【NO.19】M 

次のリーディングの俳優達、登場。

【NO.20】
三月二十日の日本時間午前十一時四十五分、アメリカと同盟国がイラクの首都バグダッドへの
攻撃を開始しました。その前から、私たち演劇に携わる仲間の多くは、全国の様々な劇場にあ
つまり、ささやかな声を挙げてきました。この戦争は決して遠い海の向こうの話ではありませ
ん。沖縄、三沢などの米軍基地からは爆撃機が、横須賀基地からは軍艦がイラクへ向かって発
進したのです。

【NO.21】
ブッシュ大統領は、この日、戦争目的に関して、こう演説しました。「目的は明確だ。我々は
大量破壊兵器で脅す無法者の思いのままにはならない」と。今、私たちは知っています。大量
破壊兵器がいまだにイラクのどこからも発見されていないことを。
そしてアメリカの保有する核兵器の数、一万個は地球からすべての生物を絶滅させる量として
も、多すぎることを。

【NO.22】(中山マリ)
私たちは、毎日テレビに流される爆撃の映像、攻撃側からのまるで花火大会のような映像を見
ながら無力感にさいなまれていました。あの一瞬の閃光の下でどれだけの数の人間の体が引き
裂かれ、焼き尽くされているのかと......。

【NO.23】
二〇〇二年十月、池澤夏樹はイラクを訪れました。ハトラの遺跡を出て小さな橋を渡ったとき、
彼は私たちが毎日見ているテレビ報道では伝わりにくい戦争の実態について、突然こう感じま
した。

【NO.24】
「ミサイルを発射する側は決して結果を考えない。彼ら軍人達はその情景を想像してはいけな
いと教えられている。ここ二十年で軍事技術は大きく変わったが、人工衛星による偵察やコン
ピューター制御以上に大きく戦争を変えたのは、相手を見ることなく、つまりまったく罪悪感
なく、人を殺す技術の発達ではないか。
アメリカ側からこの戦争を見れば、ミサイルがヒットするのは建造物3347HGとか、その
種の象徴的な記号であって、ミリアムという名の若い母親ではない。だが、死ぬのは彼女なの
だ。ミリアムと、その三人の子どもたちであり、彼女の従弟である若い兵士ユーセフであり、
その父である農夫アブドゥルなのだ。」

【NO.25】()

【NO.26】()

【NO.27】
ブッシュは、今回の戦争を自由のための戦争だと言っています。しかし、この戦争で、本当は
誰が傷つき、誰が死に、誰が喜び、得をしたか、そもそもなぜこんな戦争が起きたのか、大量
破壊兵器が見つからなかった今、そのことは次第にはっきりしてきました。

【NO.28】
アメリカはどこから石油を買っているか。サウジアラビアから一四.三%。何とイラクからも
一日で七八万バレル輸入している。では、各産油国は現在の石油供給をいつまで続けられるの
か? イラクが世界最大で一四〇年、クェート一三〇年、アラブ首長国連邦一二〇年、サウジ
アラビア八五年、イラン七〇年。世界の平均は四四年だが、アメリカはわずか残り七年である。
そして、世界人口のわずか4%に過ぎないアメリカが、世界のエネルギーの約四分の1を消費
し続けている。

【NO.29】
日本では、ほとんど報道されなかったが、この戦争でブッシュ政権の二人の文化担当補佐官が
イラクにおける博物館、ギャラリー、図書館などの破壊に抗議して辞任しました。千年も前の
コーランを含め、イラク地域の一万年の歴史の無数のかけがえのない文化財が盗まれたり、破
壊されたりしたからです。辞任した補佐官の一人は、こう言っています。

【NO.30】
「わが国の人々は、石油に価値があることを間違いなく知っている。しかし歴史的遺物に価値
があることは、本当にはわかっていない。」

【NO.31】
この戦争を遂行し、これからイラク再生を指導していく、ブッシュ政権の人々はどんな経歴
の持ち主なのか。

【NO.32】
コリン・パウエル国務長官

【NO.33】
軍需大手のゼネラル・ダイナミックス社の大株主

【NO.34】
リチャード・アーミテージ国務副長官

【NO.35】
軍需産業レイセオン役員

【NO.36】
ゴードン・イングランド海軍長官

【NO.37】
軍需産業ゼネラル・ダイナミックス副社長

【NO.38】
シーン・オキーフ航空宇宙局長官

【NO.39】
軍需産業レイセオン戦略顧問

【NO.40】
ポール・ウォルフォウィッツ国防副長官

【NO.41】
石油大手BPアモコのコンサルタント

【NO.42】
ドナルド・エヴァンス商務長官

【NO.43】
石油企業トム・ブラウン社最高経営責任者

【NO.44】
チェイニー副大統領

【NO.45】
石油採掘会社ハリバートンの最高経営責任者

【NO.46】( )

【NO.47】
M  

【NO.48】
パキスタンのカイデ・アザム大学のペルベース・フットボーイはこう言っています。

【NO.49】
自爆テロリストを金で雇うことや養成することなどできない。テロリストを育てる土壌は、難
民キャンプのような、文明から見放され人間が屑のように捨てられる場所にあるのだ。超大国
は、彼らの窮状に対して関心を示さないばかりか、抑圧的でさえあった。その政治姿勢への深
い憎しみが、ついに「暗い火曜日」を招き寄せてしまったのだ。

【NO.50】
ボストン大学のハワード・ジン名誉教授はこう言っています。

【NO.51】
アメリカはこれまでに世界の国々へ爆撃を繰り返してきた。それらの爆撃は、テロリスト達へ
の「無駄な抵抗はヤメロ」というメッセージだ。レーガンはリビアを、ブッシュはイラクを、
クリントンはアフガニスタンとスーダンを爆撃した。そこで殺されたのはテロリストではなく、
貧しい人々だった。
そして、あの九月十一日に、逆にテロリストたちからアメリカにメッセージが届いたのだ。
政治家やテレビの報道番組がどんな理由をつけようと、「私は戦争には行かない」と決意する
ことが必要だ。なぜなら、今日の戦争はかならず無差別な戦争、罪のない人々に対する戦争、
子供たちに対する戦争だからだ。

【NO.51-2】
戦争はテロリズムである。
ブッシュは言う。「米国の側に付くのか、テロリストの側に付くのか」。そうではない。国家
の側に付くのか。爆弾の下にいる人間の側に付くのかなのだ。

【NO.52】
日本では、約半分の人が、積極的ではないにしろ、この戦争を容認しました。今、私たちは、
この国の中で孤立しているように感じられます。しかし、世界には孤立を恐れない人々がいま
す。
あの9・11のテロの後、アメリカ全土で「テロとの戦い」を支持する声の中、アメリカ下院
でたった一人反対票を投じたバーバラ・リー議員は、議会演説でこう述べています。

【NO.53】
ブッシュ大統領は、米国はサダム・フセインによる脅威に曝されているため、イラクを攻撃し
なければならないと演説しました。彼は、危険に曝されているという証拠や、イラクが我々に
対して大量破壊兵器を使うという意図を示す証拠すら提示していません。
世界中の国々や人々は、自らの政権をよその国から強制されることに反対なのです。
私は信じます......二十一世紀には、次の世代の人々が、いままさに歴史的過ちを犯そうとして
いる連邦議会を、当惑と失望をもって振り返るであろうことを」

【NO.54】
アメリカの映画監督のマイケル・ムーアも開戦前夜にブッシュ大統領に手紙を書きました。

【NO.55】
親愛なるブッシュ大統領
今日は、いわゆる「決定的瞬間」だね。この日がとうとうやって来て僕は喜んでいるよ。僕は、
君が嘘をつき共謀してきた440日間を生き伸びてきて、正直なところ、これ以上きみをやっつ
けることが可能か自信がないからね。だから僕は今日が「真実の日」だと聞いて喜んでいるん
だよ。君と分かち合いたい幾つかの真実があるからね。
ねえ、戦争を始めることに情熱を尽くす奴なんて、アメリカには実質的には誰一人としていな
い。ラジオのトーク番組の気が狂った連中やフォックス・ニュースは除いてだけどね。

【NO.55-2】
ためしにホワイトハウスを出て、通りに出て、イラク人を殺したいと情熱的に考えている5人
のアメリカ人を見つけてみろよ。絶対に見つけられないぜ。
どうして?だって。だってイラク人が、これまでに、ここに来て僕たちの誰かを殺したことな
んてないからさ。そんなことをやろうとしたイラク人は誰もいないぜ。
ま、もちろんこれは、君自身が[死の危険を冒して]戦う必要のない戦争だけどね。君だけじ
ゃない。米国議会の議員535人のうち、たった一人だけ、サウスダコタのジョンソン上院議員
が、軍隊に息子や娘を入隊させているだけだ! そもそも、貧しいアメリカ人がベトナムへ送
り込まれている時に、君は[親父の威光を使って]無許可で離隊したんだからな。[戦って死
んでいくのは、いつも貧乏人だ。]くそったれ。

【NO.56】
マイケル・ムーアが、アカデミー賞の授賞式のスピーチで述べた反戦のメッセージを私たちは
聞くことが出来ませんでした。なぜならそれはテレビ中継では、アメリカのメディアによって
カットされていたからです。

【NO.57】
「私は泣かずにはいられない」

【NO.58】
ニューヨーク私立大学教授ジョン・ゲラッシは書いている。

【NO.59】
世界貿易センターへのテロで愛する者を失った人々が、テレビで語る胸を引き裂かれるよう
な話を聞いて、私は涙を抑えることができなかった」

【NO.60】
けれども、それと同時に自分をいぶかしく思った、とゲラッシは書いている。

【NO.61】
ノリエガ将軍を捜し出すという口実で、米軍がパナマで五千人の貧しい人々を殺したとき、私
はなぜ泣かなかったのか。いや、その前に、米軍が二百万人のベトナム人を殺したとき、なぜ
泣かなかったのか。
アメリカが武器と資金を提供していたポルポトによって、二百万人のカンボジア人が虐殺され
た時、私はなぜ泣かなかったのか。

【NO.62】
泣き出すのを堪えようとして、ダウンタウンに映画を見に行きました。『ルムンバの叫び』で
す。
そして気づいたのです。米国政府がコンゴ唯一の高潔な指導者ルムンバ殺害のお膳立てをして、
悪辣なモブツ将軍を助けたとき、私は泣かなかったということを。第二次世界大戦で日本の侵
略と戦い、独立を手に入れたスカルノ大統領の失脚をCIAがお膳立てして、日本軍の協力者
だったスハルトが五十万人を虐殺したとき、私はなぜ泣かなかったのか。
私は昨夜も、貿易センタービルの被害者の遺族と今は亡き夫が、生後二ヶ月の息子と遊んでい
るテレビ映像にまたもらい泣きしてしまいました。
しかし、エルサルバドルでの虐殺で、CIAが訓練した男たちによってアメリカ人修道女のレ
イプや殺害が行われたことを知ったあの日、私は泣かなかったことを思い出していました。

【NO.62】
このジョン・ゲラッシ教授の文章を読んで、私も思い出しました。
一九八八年、アメリカがネルソン・マンデラの「アフリカ民族会議」を公式にテロ組織と決め
つけた時、日本は同盟国アメリカに何も言いませんでした。
サダム・フセインが残虐行為を繰り返していた間、アメリカはイラクの大量殺戮兵器の開発を
手助けし、クルド人に毒ガスを使うことを黙認しましたが、日本は軍事同盟を結んでいるアメ
リカに何も言いませんでした。
アメリカがソ連のアフガニスタン侵攻に対抗するため、オサマ・ビンラディンたちゲリラ組織
を作りあげた時も、日本は何も言いませんでした。
そして、そのいずれの場合も、私は日本政府に何も言いませんでした......。

【NO.63】
米国は今回の攻撃でも、核兵器使用の可能性を否定しなかったばかりでなく、日本の核武装さ
え提言しています。そして、実際に核兵器を使用しました。劣化ウラン弾という兵器です。湾
岸戦争当時アメリカは、「ハイテク兵器が軍事施設だけを狙って攻撃するから人間の死なない
綺麗な戦争である」と発表し、日本でもそのまま報道されていました。しかし私たちがテレ
ビで見ていた「ピンポイント攻撃」は、多国籍軍が行った全攻撃のわずか七パーセント
に過ぎません。現実にはイラクに投下された爆弾やミサイルは、八万八千五百トンにお
よび、三十万人のイラク国民が亡くなっています。

【NO.64】
湾岸戦争終了後、述べ二十回以上イラクに通い続けている伊藤政子氏は、劣化ウラン弾による
爆撃を受けたと思われるアームリーヤシェルターを訪れ、こう報告しています。

【NO.65】
一九九一年二月十三日未明、飛来した攻撃機から投下されたピンポイント爆弾投下により、ア
ームリーヤシェルターに非難していた市民のほとんど全員の千五百人が犠牲になった。
戦後直ぐにここを訪れたとき、部屋の壁には広島や長崎で見たような子供や母親の影が高温で
無数に焼き付いていた。壁には犠牲になった人々の血の後や皮膚や髪、眼球や毛が一面に張り
付いており、思わず目を伏せた足下には子供の骨が散らばっていた。

【NO.66】
「ボクは、死ぬんだ。死んでしまうんだ。」

【NO.67】
十二才、小学校六年生のやせ衰えたアッバースは、誰とも目を合わせようとせず、つぶやき
続けていた。バクダッドのマンスール小児病院の白血病病棟でのことである。主任医師のサ
ルマ博士はこう言った。

【NO.68】
「本来ならこの子には心理療法も必要なのです。けれど私にはこの子だけにさく時間がない
のです。新しい白血病の子供の患者は、毎月百人もくるのですから。」

【NO.69】
イラクでは、湾岸戦争後、子供の白血病と小児ガンが急激に増えた。爆撃の多かったバスラ
では、生まれてくる子供の十人中二人が、身体に何らかの異常を持って生まれ、今でも、子
どもの八人に一人が五歳になる前に命を落としている。

【NO.70】
我々が驚くべきことはまだある。
市民団体の調査を元に、社民党の北川れん子議員が小泉首相に質問書を提出した。
「関西電力は劣化ウランの「所有権」を、アメリカのウラン濃縮会社、USEC社に
「無償で移転」している事実を明らかにした。また無償譲渡の理由については、「い
らないもの」だからとしている。
関西電力の行為は、劣化ウラン弾の原料物質の提供であり、武器輸出三原則に反し、
かつ憲法九条で掲げる平和原則にも抵触している。」
これにたいする小泉首相の答弁は、以下のごとくだ。

【NO71】
「現時点では、海外の事業者に委託して行う劣化ウランの取り扱い方法については、
政府として特定の見解を有していない。米国USEC社からは、関西電力から委託さ
れた劣化ウランを劣化ウラン弾製造のために使用したことのない旨の説明を得てい
る。」

【NO72】
核兵器の原料物質がどう取り扱われるかについての特定の見解がない、その実態につ
いても劣化ウラン弾を製造しているアメリカ企業の説明を鵜呑みにし、詳細な調査も
抗議も行わない。
これが、世界最初の核兵器による被爆国の首相の見解なのでしょうか。今、核爆弾に
よる白血病で血を吐きながら死んでいくイラクの子供達のことを、私たちは、広島・
長崎の被爆者達にどう話せばいいのですか? 「No More ヒロシマ No 
More ナガサキ」は、日本から世界に向けての願いではなかったのですか!

【NO.73】
イラク戦争で、軍隊にいた息子を失ったある父親は、テレビインタビューに答えてこう言っ
ています。

【NO.74】
誰をいちばん恨んでいるかって? うん。フセインを嫌いなことは確かだ。だが、気に入ら
ないってだけで、奴がおれの息子を殺せと命令した訳じゃないことも俺は知っている。「レ
ディーゴー」そういって、戦争を始めたのは、ブッシュだってこと、俺は知っている。

【NO.75】
湾岸戦争やイラク攻撃において、アメリカ軍が使用した武器の中には、人間の皮膚に
くっついて燃える白燐爆弾、第二の地雷と呼ばれるクラスター爆弾、核兵器である劣
化ウラン弾、殺傷力は原爆級と言われる気化爆弾など、国際法に違反する爆弾および
大量破壊兵器があった。
アメリカはなぜ、このような国際法に違反する兵器を使用するのだろうか?
マイク・エーリックは一九九一年三月から四月にかけての欧州会議の公聴会で次の証
言を行っている。

【NO.76】
「千人単位のイラク兵が、武器を頭上に掲げ非武装の状態で降伏を求めて米軍陣地へ
歩き始めた。だが米軍が受けていた命令は、捕虜を一人も取るな、だった。米部隊の
司令官はイラク兵士の一人に向けて対戦車ミサイルを発射した。戦車を破壊するため
の兵器が一人の人間に対して使われたのだ。これを合図にアメリカ部隊の全ての兵士
が発砲を始めた。これは虐殺以外のなにものでもない。」

【NO.77】
「戦意を喪失した兵士への攻撃」もジュネーブ協定では明確に禁じている。だが攻撃
は行われた。
これらの明らかに国際法に違反する攻撃に対し、アメリカ陸軍法務総監局で戦争問題
を専門とするヘイズ・パークスはこう言う。
「司令官が攻撃最中にその攻撃によって非戦闘員が傷ついていると知ったら、司令官
は「こんなことをして法に違反しないしないのか?」と訊いてくるだろう。それに対
し法務総監局は「答えはイエスだ。貴官はそれを行うことが出来る。」と答えるだろ
う。」

【NO.78】
つまり、法律家自らが「戦争遂行では法律を超える無制限の自由裁量が許される」と
いう議論を展開したのだ。
つまり彼らは、絨毯爆撃も村民虐殺も非戦闘員に対するナパーム弾の使用も枯れ葉剤
の使用も、戦争状態に於いては国際法を逸脱して許されると、法律家として認めたの
だ。

【NO.79】
しかし、アメリカにはクリーブランド選出のデニス・クシニッチのような下院議員もいます。

【NO.80】
私が思い描くアメリカとは、単独行動主義の代わりに世界調和を求める国であります。最初に
攻撃するのではなく、最初に手を差し伸べる国。世界のひとびとの重荷を軽くするために努力
する国。援助を乞われたら、爆弾ではなくパンを、ミサイルではなく医療援助を、核物質では
なく食料を分配するのが私のアメリカなのです。
アメリカは世界を守る助けができます。世界を救う助けができます。しかし、世界を管理する
ことはできないし、私たちもそれを望むべきではありません。
 
M ピアノでアメリカ国歌、静かに。

世界の独裁者に対して、彼らを爆弾で黙らせたいという誘惑を抑えて交渉するには忍耐が必要
です。
大きな力を持ちながら世界でそれを優しく使うには知恵が必要です。
そして、厳しい生活環境や抑圧的な政府のもとで、つましい生活を送ろうとしている世界の人
々の苦しい状況を理解するには、思いやりが必要です。

音楽と共に「ブッシュ大統領へ」の朗読者、登場。

【NO.81】
クシニッチ議員の「私の思い描くアメリカ」の演説を聞いて、「私の思い描く日本」はどんな
ものか考えました。湾岸戦争でも、このイラク戦争でも、劣化ウラン弾を落とす側に立った国
の人間の一人として。

朗読者達、退場。
次の朗読者、センターへ。

二 「ブッシュ大統領へ」

【NO.82】
ブッシュ大統領、あなたの始めた無法な戦争は、とりあえず貴方の勝利に終わりました。その
人殺しに荷担した日本人の一人として、自戒の念を込め、また、銃弾によってではなく、言葉
によって考え表現することが出来る演劇人として、貴方に訴えます。
ブッシュjr。あなたはイラク国内の発見できなかった大量破壊兵器に目を凝らすより、シリ
アや北朝鮮に目を向けるより、自分の足下を見るべきです。あなたの国には三六〇〇万人の貧
困層がいます。あなたの国の二七〇〇万人は、読み書きができないので、職に就けません。四
〇〇万人が健康保険に加入しておらず、三〇万人がホームレスです。十代の妊娠中絶、麻薬使
用、暴力行為は先進国中で最高値を示しています。犯罪を犯して牢屋に入っている者は、往年
のソ連の強制収容所をしのいで世界一なのです。
にもかかわらず、あなたの国の国民が支払う税金は、それらの貧しい人には廻らず、世界の貧
しい人々を殺すための軍事費に使われています。
あなたは自分たちは文明人だから、正義のための戦争以外には武器を使わないと言います。
本当ですか。第二次世界大戦以降の半世紀、あなたの国の軍隊は、中国、朝鮮、グアテマラ、
インドネシア、キューバ、コンゴ、ペルー、ラオス、ベトナム、カンボジア、グレナダ、リビ
ア、エルサルバドル、ニカラグア、パナマ、イラク、ソマリア、ボスニア、スーダン、ユーゴ
スラビアを爆撃しています。
私たちは知っています。あなたの国の一%のお金持ちの資産が、残りの九十五%の全資産と同
じだという現実を。
世界人口の四・五%にすぎないあなたの国が、世界の資源の三十%を浪費し、あなたの国の軍
事力に対して、日本と全ヨーロッパが束になったとて、対抗できないという現実を。全世界の
九十五・五パーセントの人々が、あなたの国の武力行使に反対しようとも、軍事力ではもはや
対抗できません。
私たちは、この現実から目を離す楽観主義者ではありません。
私たちは、私たちの無力を知っています。
あなたの国は、一万個の核兵器を持っていますが、私たちは想像力と言葉の本来の機能を知っ
ています。
ブッシュ大統領。この世界は、この地球はあなただけのものではありません。
そして、小泉首相。
あなたには、この列島に住む私たち日本人をアラブの人々の憎悪の対象にする権利は持ってい
ません。「日米軍事同盟」のお陰で、米軍基地が集中する沖縄のあの豊かな自然を、日本でも
っとも危険な地域にする権利は持っていません。
あなたは今回の米国による戦争に反対する行動を「衆愚政治」と批判されました。私たちは今、
あなたを首相に選び、あなたを支持した私たちが「衆愚政治」に冒されていたことを知ること
となりました。
小泉首相は、日本の外交方針を、国連主義から軍事同盟へと変えた戦後初の首相として、長く
記憶されるでしょう。

朗読者、退場。

【NO.83】M


第二部 プロローグ アメリカとイラクの子供たち

朗読者たち、登場。

【NO.1】
アメリカのプレスクワイルに住むシャルロットは学校の作文コンテストで「星条旗」につい
てこう書きました。

【NO.2】
布きれの旗が大事にされているのに、ホームレスは大切にされない。合衆国建国の父、トマ
ス・ジェファーソンはがっかりするだろう。

【NO.3】
この作文を見た国語の先生は、「愛国心のないことを書いた子供がいる」と言いました。
エイズ予防のための機関で働く母親とともにコンゴ、マリ、中米ハイチに移り住み、内戦の
続く国々の子供たちを見てきたシャルロットはこう書いています。

【NO.4】
イラクの二四〇〇万の国民の半分が一五歳より下の子供です。私みたいな。私はもうすぐ一
三歳になります。私のことをよく見てください。イラクを攻撃するとき、考えなきゃいけな
いことが分かるはずです。みんなが破壊しようとしているのは、私みたいな子どものことな
んです。もし、運が良かったら、一瞬で死ねるでしょう。  そんなに運が良くなければじ
わじわと死んでいくでしょう。ちょうど今、バグダッドの子ども病院の「死の病棟」で苦し
んでいる一四歳のアリ・ファイサルみたいに。アリは湾岸戦争で劣化ウラン弾による悪性リ
ンパ腫ができ、がんになったのです。
もしかしたら、傷みにあえぎながら、死んでいくかもしれません。寄生虫に大事な臓器を食
われた一八ヶ月のムスタファみたいに。ムスタファは二五ドル程度の薬で治ったかもしれな
かったのに、イラクに対する制裁で薬がなかったのです。

【NO.5】
これが自分たちの子どもだったら、どうしますか。
子どもたちが手足を切られて苦しんで叫んでいるのに、痛みを和らげることも何もできない
ことを想像してみてください。娘が崩壊したビルの瓦礫の下から叫んでいるのに、手が届か
なかったら、どうしますか。自分の子どもが、目の前で死ぬ親を見た後、おなかをすかせて
独りぼっちで道をさまよっていたらどうしますか。
これは冒険映画でも、空想物語でも、テレビゲームでもありません。これがイラクの子ども
たちの現実なのです。
いつものように私は、どう感じるのか伝えたいと思います。ただし、「私」ではなく、「私
たち」として。悪いことが起きるのをどうしようもなくただ待っているイラクの子どもたち
として。何一つ、自分たちで決めることができないのに、その結果はすべて背負わなければ
ならない子どもたちとして。声が小さすぎて、遠すぎて届かない子どもたちとして。

 第二部

【NO.6】
フランス領レユニオン島に住むドミニク・ラマサーは、「同時多発テロ」のニュースが全世
界で報じられる中、島の新聞に投書を寄せた。

【NO.7】
今日もまた、三万五千六百十五人の子供たちが死んだ。
場所。この惑星の貧しい国。特集番組なし。新聞論説なし、大統領のメッセージなし。黙祷、
なし。犠牲者追悼式、なし。株式市場、変わらず。この犯罪の委任者、豊かな国家。
世界人口の二〇パーセントの先進国の国民が、この惑星の資源の八〇%を消費している。ニュ
ーヨークへの攻撃を非人間的と言うなら、年間、一三〇〇万人の子供たちが死ぬに任せている
私たちをどう表現したらよいのか。

『今、世界各地の「この子」たちは』 地人会(構成:木村光一)より

【NO.8】
エルサルバドルは美しい砂浜と緑濃い山々に恵まれた、中央アメリカの平和な小さな国です。

【NO.9】
エルモゾテはこの国の山間部にある小さな村です。ある日、政府軍がやってきて、女と子供は
村の広場に集まるようにと命じました。
その時のことを、三人の子どもの母親であるルーフィナ・アマーヤ・マーケイスはこう語って
います。

【NO.10】
「軍がやってきたのは午後でした。そして、みんなにうつぶせになれと命じました。そのまま
何時間も動けなかったのです。......皆殺しにされるんじゃないかと思いました...」
でも、その晩は何も起こりませんでした。でも翌朝まだ夜の明ける前、兵士たちが家々のドア
を叩きました。全員外に出ろと言うのです。住民たちは暗い中で何時間も立たされました。子
どもたちはおなかをすかせて泣き出しました。夜が明けると、ヘリコプターが一機飛んできて
軍の士官たちが下りて来て兵士となにやら話をしていましたが、やがてまた飛び立っていきま
した。
虐殺が始まったのはそのあとです。
男たちは眼かくしをされて教会へ連れていかれました。女と子どもは一軒の家へ集められまし
た。
ルーフィナは震えながら男たちが殺されるのを見ていました。彼女の夫もそのなかにいたので
す。

【NO.11】
「教会には窓が一つあって、そこからなかでなにが起こっているかが見えたんです。女たちは
叫びはじめました。殺さないで。殺すのはやめて。どうか殺すのだけはやめて」
それから若い女たちが外に連れ出され、レイプされ、殺されました。子どもたちは母親から引
き離されました。残った女は反政府活動について尋問を受け、そのあと家の中へもどされて射
殺されました。
兵士は住民のかくれていた家に火をつけ、ひとりも逃すまいとしました。虐殺は一日中続き、
大人をほぼ全員殺してしまうと、こんどは子どもに目を向けました。なんとかかくれおおせた
ルーフィナは、兵士が子どもの処理について話しているのを偶然耳にしました。
「残った子どもはどうする?」
(ひとりがききました。)
「殺そう。大人になってゲリラになるかもしれないからな」
(もうひとりが答えました。)
「早いところ片づけてしまおう」
最初の兵士は、子どもは殺したくない、何人か連行すればいいのではないか、といって躊躇し
ましたが、もうひとりの兵士は主張しました。
「皆殺しにしろ、というのが連隊長の命令だ。われわれはそむくことはできない」

【NO.12】
八歳のホセ・ゲイバーラは幼い弟と一緒に兵士に捕らえられました。子どもがひとりず
つ殺されていくのを見て、ホセは生きのびられるかどうか試してみようと決心しまし
た。

【NO.13】
「あいつらが僕の弟をはりつけにするのが見えた。弟は二歳だった。僕ももうすぐ殺さ
れるとわかった。それなら、逃げて死ぬほうがましだと思ったんだ。」
 
【NO.14】
首都サンサルバドルの子どもたちも、いつも危険にさらされていました。八歳のマリア
は兵士に追われて母親と一緒に逃げました。

【NO.15】
「並んで走っているときママが背中を撃たれたの。わたしは、ママ、撃たれたわよ、と
叫んだわ。ママはまだ走りつづけていたから、痛みを感じなかったんだと思う。でも、
すぐに走れなくなった。ママは私にナップサックを渡して、逃げなさいといったの」

【NO.16】
あとになってマリアは母親の死体を見つけました。母親は銃弾を受けて死んだわけでは
ありませんでした。そのあとで受けた残酷な仕打ちのせいで死んだのです。

【NO.17】
エルサルバドルの内戦は今はもう終わり、ひどい殺戮もなくなりました。といっても、子ども
たちにとって毎日の苦しい生活は続いています。わずかのお金をかせぐために、自らの健康と
命を犠牲にする子どもまでいます。口にガソリンをふくんで火を吹くという大道芸をするので
す。そんな子供たちは長生きはできません。体を悪くし、肺の感染症で死ぬのです。
八歳のラファエルは何年も前から、道端で火を吹く芸でお金をかせいでいます。

【NO.18】
「火を吹くしかないんだよ。父さんは死んだし、母さんと生きていくために、どうしてもお金
が要るだろう。僕はここでは難民だから、働かなきゃいけない。口の中が熱いし、これで死ぬ
ことになるかもしれないって分かっているけど、ほんとうにほかにどうしようもないんだよ。」

【NO.19】


【NO.20】
世界中の紛争を取材してきたジャーナリストの多くが、今まで見た中でモザンビークの内戦が
最悪だといいます。子供たちは意図的に残忍な人間に作り替えられました。
五歳の時、反政府軍にさらわれたリカードは今は孤児院で暮らしています。

【NO.21】
「あいつらは僕の村へやってきて、皆殺しにしたんだ。僕の両親は逃げきった。僕もいっしょ
に走ったけど途中ではぐれてしまった。あいつらは、殺さなかった男の子を全員捕虜にして連
行した。何日間も飲まず食わずで歩かされた。少しでもおしっこが出た時には、それを飲んだ。
もし誰かが弱った様子を見せたら、みんな殺される。逃げるなんてとんでもない。」

【NO.22】
子どもたちは、たいてい言葉の通じない地域に連れていかれました。モザンビークには六十以
上の言語があるのです。こうして家族や社会から切り離せば、支配するのがずっと楽になるか
らです。子どもたちは非人間的な軍事訓練を受け、孤独と苦しみのなかで、上官を尊敬しはじ
めるようになるのです。

【NO.23】
「僕は兵士だった。指を一本、戦闘で失った。たくさんの人を殺したよ。そうしろと言われた
からそうしたんだ。そういう決まりだったのさ。命令されたからそれに従っただけなんだよ」

【NO.24】
反政府軍のスパイだと疑われていた父親とともに政府軍に捕らわれたドードーはその
時わずか七歳でした。

【NO.25】
「何週間も刑務所に放りこまれた。それから誰かがやってきて、ほかの町で裁判を受け
させるといったんだ。独房の扉が開いて、外に出された。みんな一台の車につめこまれ
て出発した。すると突然、運転していた兵士が車を左に向けて川へ向かったんだ。みん
なは悲鳴をあげた。ふたりの軍人が車をとめて外に出て、ひとりずつ順番に呼びだした。
そうして、頭を撃って川へ死体を放りこんだんだ。父さんも撃たれた。最後に残ったの
が僕だった。そこで士官は僕を連れ帰って家の雑用をさせることにしたんだ。」

【NO.26】
内戦が終わっても沢山の子どもが慢性の頭痛や悪夢や胸の痛み、四六時中よみがえってくる兄
弟や姉妹や父母が殺されるときの光景に悩まされているのです。
九歳のパブロは言いました。

【NO.27】
「望みはたったひとつだよ。大人になったら、小さな子どもになりたい。そんだけさ」
 
【NO.28】
五歳の時から道端で暮らしているアモロは今十歳です。

【NO.29】
「僕は戦争と飢えから逃げ出してここへ来たよ。何日もかかったよ。歩いたり、走ったり、ヒ
ッチハイクしたりして、ようやくここに来たんだ。家族がどうなったかは知らない。村が襲わ
れた時、僕は五歳だった。いま両親に会っても、僕だとは分からないかもしれないね。」

【NO.30】
道端で煙草を一本ずつ売っているフェリーズもこう言っています。

【NO.31】
「ここにいれば、いつでも食べ物を見つけられる。レストランの外とか、市場の外にいれば、
かならず食べ物が見つかるんだよ。でも、ぼくの村にはなにもない。だからみんな死んでいく。
旱魃と内戦のせいで食べ物を探しにいけなかったから、みんな飢えているんだ。目を閉じて眠
るときには、母さんのことを考えるようにしているんだ。そうすれば守られている気持ちにな
るから」

【NO.32】
ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国の首都サラエボで、冬季オリンピックが開かれたのは今から
十四年ほど前のことです。

【NO.33】
その時、世界中からこの国を訪れた沢山の人々のなかで、その十年後にここが恐ろしい殺戮の
場所になるなどと想像した人がいたでしょうか? この古く、美しい、静かな国で、それまで
仲よく暮らしていたはずの人々が民族の違いや宗教の違いを理由に突然争いを始めたのです。

【NO.34】
十三歳の難民、アリック。

【NO.35】
兵士たちが、僕たちに家の外に出ろといいました。そして家に火をつけて燃やしてしまいまし
た。それから、僕たちを列車のところに連れていって、男の人たちを全員地面に寝かせました。
兵士たちは、そのなかから殺す人を何人か選びだしました。僕のおじさんと、隣のうちの人も
入っていました! それから、兵士たちは機関銃を発射して、その男の人たちを殺しました。
次に兵士たちは、女の人たちを列車の前のほうの車両に乗せ、男の人たちを後ろのほうの車両
に乗せました。列車が動き出すとき、兵士たちは後ろのほうの車両を切りはなして、男の人た
ちを捕虜収容所に連れていきました。ぼくはそれを全部見ていたんです!
今、僕はねむれません。あの時のことを忘れようとするのだけれど、うまくいきません。もう、
何かを感じるなんてできなくなりました。

【NO.36】
サラエボに住む十二歳のエドマは外国の友だちにこんな手紙を書きました。

【NO.37】
「私たちサラエボの子どもたちが苦しんでいることを知ってほしいと思います。私たちはまだ
子どもですが、多くの大人が知らずに生きていくようなことを経験した気がします。セルビア
人が支配する地域にいたとき、母さんと私の名前は粛正リストにのっていました。普通の暮ら
しをしている人たちには、こんなこと、理解できないと思います。私だって自分で経験するま
では分かりませんでした。

【NO.38】
皆さんが果物や甘いチョコレートやキャンディを食べているとき、ここでは生きのびるために
草をむしって食べています。こんど皆さんがなにかおいしい物を食べるとき、自分自身にむか
って言って下さい、『これはサラエボの子どもたちのためのもの』って。

【NO.39】
皆さんが映画を見たり、美しい音楽を聞いたりしている時、私たちは地下室にかけ込んで、砲
弾の飛んでくる恐ろしい音を聞いています。

【NO.40】
皆さんが笑ったり愉快にすごしている時、私たちは泣きながら恐怖が早く過ぎ去ってくれます
ようにと願っています。

【NO.41】
皆さんが電気や水道のおかげで快適に暮らし、お風呂に入っている時、私たちは雨が降ります
ようにと神様に祈っています。雨が降れば飲み水が出来るからです。

【NO.42】
テレビも映画も私たちが経験している苦しみや不安、身の毛のよだつような恐怖を正しく伝え
てはいません。サラエボは血にまみれ、あちこちにお墓が出来ています。

【NO.43】
私はボスニアの子どもたちを代表してお願いします。こんなことが皆さんや、ほかのどんな人
たちにも決して起こることがないようにして下さい。」

【NO.44】
ストモレ出身の十一才のネアニは、友だちにこんな手紙を書きました。

【NO.45】
僕は君にむかって話しています。運動場や町の通りから、自分の家の子供部屋から追い出され
た君に向かって話しています。
君が苦しんでいると思うと、僕もつらくて、夜も眠れません。フットボールをしても歌を歌っ
ても、君がいたころみたいじゃありません。ほんとうです。僕は自転車にカギをかけて、しま
ってしまいました。笑顔もしまってしまいました。いろんな遊びや子供っぽい冗談もしまって
しまいました。
まだまだ待たなきゃならないんですか? まだ子供なのに大人びてしまうなんて厭です。こう
やって待っているあいだに、君が君の生まれた土地のことを忘れてしまうんじゃないかと心配
です。だから、僕のところに戻っておいでよ。いっしょに海や夏の美しい夕暮れを眺めよう。
いっしょに鳥の歌声に耳をすませたり、宿題をしたりしよう。

【NO.46】
ゼニッツァの五年生になる子ども。

【NO.47】
戦争のまっただなかで、私たちは、平和が来るのを待っています。
私たちは、世界の片隅にいます。私たちの声は誰にもとどかないようにみえます。でも、私た
ちは怖がりません。あきらめません。
父さんたちは少ししか給料をもらえません。ひと月にやっと小麦粉が五キロ買えるくらいの給
料です。私たちには水道も電気も暖房もありません。そういうことは全部がまんします。けれ
ど、憎しみと悪意にはがまんできません。
私たちの先生がアンネ・フランクの事を話してくださいました。私たちはアンネの日記を読み
ました。五十年たった今、また歴史がくり返されています。この国もアンネの国と同じように
憎しみにあふれ、戦争や殺戮がくり返され、私たちは命を守るために隠れてすごさなければな
らないのです。
私たちは、まだたったの十二才です。だから、政治や戦争を変える力がありません。でも、私
たちは生きたいんです!こんな馬鹿げた戦争をやめさせたいんです。アンネ・フランクが五十
年前に待ちのぞんだように、私たちも平和を待ちのぞんでいます。アンネは平和がおとずれる
まで生きていることができませんでした。
私たちはどうでしょうか? 

【NO.48】
私たちはどうでしょうか......。世界中の子供たちの声を聞きながら、私は、日本のことを考え
ています。広島や長崎や、大空襲の日の東京のことや、沖縄のことを考えています。ひめゆり
の塔の前で、ブイサインをしながら、記念写真を撮る若者を見たことを考えています。

【NO.49】
沖縄戦は、九〇日にわたる戦闘で、日米双方二〇万人の犠牲者を出しましたが、そのうち一二
万人は、非戦闘員である沖縄の住民でした。日本という国は、沖縄を盾に本土を護るために、
玉砕指令を出したのです。多くの女子中学生が学徒隊として、戦場に動員され、死んでいきま
した。生まれた島へ帰ることさえ、許されなかったのです。

【NO.50】
寺島尚彦は、一九六四年六月、日本復帰前の沖縄に行き、もっとも激しい戦闘があった沖縄本
島北部の摩文仁(まぶに)の丘に立った。そのときの様子を彼はこう言っている。

【NO.51】
摩文仁の丘に続く一面のサトウキビ畑は、私の背丈より高く、その中に埋もれるようにして歩
く私に、案内をしてくれた人の言葉が、天の言葉のように降りかかった。「あなたの歩いてい
る土の中にまだまだたくさんの戦没者の遺骨が埋まったままになっています」
美しく広がっていた南国の青空は、その瞬間モノクロームに一変し、ただ頭越しに轟然と吹き
抜ける風の音だけが耳を打ち、立ちすくんだ。

【NO.52】
その風の中に聞いたものを表現する言葉として、彼は、一年半かけて「ざわわ」を考えつい
たという。
今、そのサトウキビ畑は、平和記念公園となり、沖縄戦でなくなったすべての人の名前が刻ま
れた慰霊碑が建ち並んでいる。


【NO.53】M

歌終わり、二部の朗読者達、退場。


第三部・アピールと手紙

三部の朗読者たち登場。

【NO.1】
私たちは、「平和のための戦争」という偽りの言葉を拒絶し、開戦に反対してきました。
今、圧倒的軍事力で勝利を収め、アメリカが誰のためかわからぬ「イラク再生」に励んでいる
様子を見ながら、やはりもう一度この戦争について考えざるを得ません。

【NO.2】
イラク復興支援特別措置法の成立によって、日本の自衛隊はこれまで決して出来なかっ
たことができるようになりました。それは海外における武器弾薬の陸上輸送です。
政府は始め、自衛隊は米英軍の後方支援として「輸送」を担うものの、武器・弾薬につ
いては「提供」は行わないとしていました。しかし、大森敬治官房副長官補は輸送業務
には「米軍の隊員や武器も対象に入る」との見解を示しました。その理由として、彼は
こう述べています。

【NO.3】
「輸送物資を開封して中身を調べるのは不都合だ」

【NO.4】
武器・弾薬の陸上輸送は、「武力行使と一体化する」との批判を受け、周辺事態法でも、
アフガニスタンでのテロ対策特措法の際にも認められてはいませんでした。海上輸送に
ついても、防衛庁は武器弾薬の輸送を実施したことはありません。ところが今回のイラ
ク特措法は、その危険をはらんだまま、なしくずしに可決されてしまったのです。小泉
首相はこう語りました。

【NO.5】
「審議は十分尽くした。論点は尽きたと思う」

【NO.6】
しかし、特措法成立前夜、こんな事を口にした人がいました。

【NO.7】
「イラクに安全な場所は絶対にない。自衛隊派遣はあくまでも慎重にして、可能な限
り別の国際貢献をやるべきだ。衆院では十分な審議が行われたとは思わない。安易に
重要法案が可決されていく。本当にこれで日本の国はいいのか。国そのものが壊れて
いくような気がして、私のような世代は不安で仕方がない」

【NO.8】
これは反戦団体や市民団体の発言ではありません。イラク法案採決時に退席し、投票
を棄権した、自民党の野中広務元幹事長の言葉です。

【NO.9】
ジャーナリストの高成田享 (タカナリタトオル)氏は言っています。

【NO.10】
この法律の名前は「復興支援」となっているが、実は小泉首相も、与党の議員も戦後復
興の支援ではなく、戦闘継続中の米軍への支援であることを知っている。その戦争が実
際にはまだ終わっていないのに、「戦後復興」のような顔をして、実態は占領軍である
米軍の支援をすることは、法律の趣旨にも反する。戦争の主目的であった大量破壊兵器
が見つからないことについても、小泉首相は

【NO.11】
「フセインが見つからないからといって、フセインが存在しなかったと言うのと同じ
だ」

【NO.12】
という論法を繰り返した。
戦争を始め、また、それに加担するという決定の根拠を立証するのは、始めたり加担す
る側の責任であって、それも示さずに、法的な手続きが進むところに民主主義はない。
あいまいな根拠で戦争に入っていくありさまは、かつて、「満州事変」や「日華事変」
という名前で、満州や中国への侵略を進めた日本のありようを想起させてしまう。

【NO.13】(小泉首相の言葉)
「自衛隊員は戦争に行くんじゃないんだから」「どこが派遣可能な非戦闘地域で、どこ
が戦闘地域なのか、いま私に聞かれたって分かるわけがない。」「自衛官が夜盗強盗の
たぐいに殺されることはないとはいえない」「相手を殺すことも、ないとはいえない」

【NO.14】
井上ひさしさんはこう言っています。
憲法は国民から政府に発する命令です。一方、法律は政府から国民に発せられる命令で
す。そして常に憲法は法律に優先します。国の作る法律が憲法に違反しているかどうか
チェックするのが最高裁判所ですが、戦後たった二度しかクレームは付けられていませ
ん。つまり、日本では、憲法違反をチェックする働きは皆無と言っていいのです。
今、北朝鮮の脅威を根拠に、平和憲法を踏みにじってまで、日米軍事同盟の強化を優先
しようとする動きがありますが、北朝鮮の国家予算は、船橋市とほぼ同じに過ぎないの
です。なぜ、船橋市をそこまで恐れる必要があるのでしょうか。北朝鮮は危ないという
シナリオは、誰が書き、誰が煽っているのでしょうか。

【NO.14-2】
今回可決された「イラク特措法」は四年間だけに限定された時限立法です。しかし政
府はその後も引き続き自衛隊の多国籍軍支援を可能にするために「恒久法」を制定す
る方針を決めました。恒久法ができれば、PKOが展開されない紛争地域にも、自衛
隊派遣が可能になります。

【NO.15】
戦争体験のない"新世代の国防族"石破防衛庁長官の発言。

【NO.16】
「徴兵制は憲法違反ではありません。私が言いたいのは、徴兵制と議会制度は近代市民
国家の根幹だということです。国を守ることが意に反した奴隷的な苦役だというような
国は、私は国家の名に値しないだろうと思っています。つまり、王様の軍隊ではない、
国家の軍であり国民の軍、それによって民主国家を守る。国民みんなが兵役に参加する
のだという話です。みんなが18歳で何年か兵役に就く。それによって、軍というもの
がどういうものなのか、国民の共通理解となる。初めて自分の国というのは自分たちに
よってしか守ることができないんだ、ということになる。座して死を待つことが日本国
憲法の予定するところではない、ほかに何も打つ手がなければ先制攻撃も憲法上は、法
理論上はあり得るということで、あたり前のことです。」

【NO.17】
もはや私たちは「戦後」ではなく、「戦前」を生きているのでしょうか。

【NO.18】
「未来は暗い。暗いことこそ、全体的に考えて、未来としては最善である、と私は思
う」

【NO.19】
人類の体験した最初の近代戦、大量殺戮の戦争であった第一次世界大戦勃発から八ヶ
月後、バージニア・ウルフは日記にそう書きました。

【NO.20】
絶望は、次に来るものは分かりきっているという推定の上に成り立つものです。です
が、カナダ政府が北方の広大な土地を先住民族に返還し、あるいは投獄されていたネ
ルソン・マンデラが解放後の南アフリカの大統領になるとは、二十年前に誰が想像で
きたでしょうか?

【NO.21】
世界は悪くなりつつあります。また、良くもなりつつあります。そして未来はまだ不
透明です。良き未来を導くもの......それは希望への変革に向けた行動ではないでしょ
うか?

【NO.22】
東京の日本語教師、井江ミサ子さんは、朝日新聞にこんな投書を寄せています。

【NO.23】
「もし、イラク特措法が「劣化ウラン弾被害の子どもたちを救うために小児がんセン
ター建設する」という内容だったら、どんなに誇り高く、賛成できたでしょう。衆議
院の特別委員会審議に参考人招致された藤田祐幸・慶大助教授は、陳情の中で、医療
支援の必要性と貢献できる可能性を述べています。
湾岸戦争後、イラクで白血病やがんが多発し、経済制裁下で医薬品が行き届かないた
め多くの人が亡くなっていること、その原因が劣化ウラン弾であることを私たちは知
っています。また、今回の米英の攻撃に再度、劣化ウラン弾が使われたことも知って
います。さらに、広島・長崎の原爆被害から被爆者治療の実績と技術があることも知
っています。
日本のすべき事が「イラク復興」であるならば、まず第一に被爆者治療の援助、拠点
づくりをすべきです。間違っても、米軍のための弾運びであるはずがありません。長
期的な計画を持った被爆者治療への貢献こそ、他の国にはできない復興支援です」

【NO.24】
この劣化ウラン弾の使用と発病について、アメリカ主導の国連は、いまだにその因果
関係を認めていませんが、その原因が劣化ウラン弾であることを多くの人たちが指摘
しています。

【NO.25】
「周辺事態法」「テロ対策特措法」「有事法制」「イラク特措法」などが次々に可決さ
れる時代にあって、私たちは「もしかしたら人々は戦争をしたがっているのではないか、
戦争が嫌いではないのではないか」という疑念に襲われることがあります。しかし日本
国憲法を創案したメンバーの一人であるベアテ・シロタ・ゴードンさんは言います。「人
々は戦争が好きなのではない。戦争で人が殺されるということの実態を知らないのだ」

台詞終わり、音楽はいる。

【NO.26】M

後奏の中で、一部、二部の出演者達、上下より、舞台に登場。
【NO.27】
私たちは、「9・11」に強い衝撃を受けました。
でも、私たちの受けた衝撃は、アメリカの一般国民の衝撃とすこし意味合いがちがいます。
戦争と殺戮の二十世紀を終えて新たな世紀をむかえた時に、自由と民主主義を信じてきた先進
国がこれまでまったく体験もしなかった一撃に出会った衝撃です。
ニュールンベルグでナチス・ドイツを裁いた数年後に、アメリカ空軍は北朝鮮のダムを爆撃し
て、沢山の餓死者を生みました。しかし、あの時、北朝鮮がアメリカを攻撃したわけではあり
ません。ベトナムもアメリカを攻撃したわけではないのに、アメリカ軍はベトナムに枯れ葉剤
を撒きました。
アルジェリアがフランスを攻撃したことも、インドがイギリスを攻撃したこともありませんで
した。
日本が中国に軍隊を派遣した時も、中国軍が東京を攻撃したわけではありませんでした。
しかし、二十一世紀のとば口で起こった「9・11」は、人類史上はじめて、弱者が強国の中
心部に一撃を加えたのです。
アメリカの大統領が大好きな聖書から引用すれば、あのテロは、小さなダビデが放った巨人ゴ
リアテへの一撃でした。小さなダビデがパチンコで放った石はアメリカ製の航空機であり、直
撃をうけたゴリアテの眉間が貿易センタービルでした。

【NO.28】
あのテロは、次の事実を私たちに教えてくれました。
アメリカの三千億ドルという途方もない軍事予算は、アメリカに安全をもたらさなかった。世
界中に設けられたアメリカの軍事基地、世界のあらゆる海に配置された米国艦隊はアメリカに
安全をもたらさなかった。そして、私たちは知りました。三百キロの多方向から同時に二百個
のミサイルをキャッチするレーダーと、十二個以上の目標を攻撃できる、射程百キロを超す迎
撃用ミサイルを搭載したイージス艦も、素手のテロリストにはなんの効果もないことを。
あのテロは、次の事実を私たちに教えてくれました。
アメリカの三千億ドルという途方もない軍事予算は、アメリカに安全をもたらさなかった。世
界中に設けられたアメリカの軍事基地、世界のあらゆる海に配置された米国艦隊はアメリカに
安全をもたらさなかった。そして、私たちは知りました。三百キロの多方向から同時に二百個
のミサイルをキャッチするレーダーと、十二個以上の目標を攻撃できる、射程百キロを超す迎
撃用ミサイルを搭載したイージス艦も、素手のテロリストにはなんの効果もないことを。
世界最強の軍事力を整えることは、暴力の連鎖を止めるための有効な手段ではなかったのだと
いうことを。
にもかかわらず、アメリカが様々な仮想敵国のために軍備を増強して引き起こされたテロによ
る報復の道を、今、日本は着々と登り詰めています。
世界最強の軍備を持つ国アメリカの暴走を止めることは、外側つまり外国からでは困難なので
す。それができるのは、最強の国で選挙権を持つアメリカの人々です。私たちはそのアメリカ
で「冷静になってくれ」と孤軍奮闘しているわずかな人々に、外側からエールを送り、連帯す
ることはできます。
マクベスを批判しつつ、マクベスを愛することができる私たち演劇人は、そして共に演劇を作
る仲間である観客のみなさんと、それぞれの国の政府と国民に向かって、いかなる場合にも「武
力による解決は解決にならないのだ」と、ねばり強く呼びかけていこうではありませんか。